同志社大学商学部 高橋広行 研究室

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日本一心豊かなローカル線 「貴志川線」

西松宏(2009)「ローカル線を救った町の物語:猫のたま駅長」,ハート出版より。

この貴志川線は,1961年から南海電鉄が運行してきた。もっとも多いときで年間360万人以上の利用者だったものの,2002年度には約199万人となり200万人をわり,乗客は減りつつける一方だった。そのため,毎年5億円の赤字となり,2003年に廃止する予定となった。

宮小学校3年4組のアンケート活動,元高校の校長だった濱口晃夫(はまぐちあきお)氏などを中心とした「未来を“つくる”会」の市民ボランティアの活躍で,2005年に存続することが決まった。

その後,岡山電気軌道という路面電車の会社や,岡山県を中心とした運輸業など58社(2009年3月現在)を経営している両備グループのトップである小嶋光信(こじまみつのぶ)社長が「和歌山電鐵」という会社を作り引き継いだという。「鉄」ではなく,”鐵”を使うのは,鉄は金を失うと書くため縁起が悪いことから鐵にしたとされる。

存続の際,行政支援が10年間あるものの,乗客を増やして赤字をなくすのは難しいとされていた。多くのローカル線がモータライゼーションの発達によって消えていく中(※1),市民の会の「乗って残そう 貴志川線」のスローガンによって現状を変え,存続の決意を強く抱いたという。

2006年,貴志川線の開業出発式で,縁あって「たま」を駅長(2007年に正式な駅長として委嘱された,日本鉄道史初)にすることとなり,地域の方や全国サポーター2557名がお金を出し合ってつくられたいちご電車が8月に登場し,順調なスタートとなった。このローカル線を支えているのは,地域住民による貴志川線運営委員会であり,よりよいサービス,乗客アップのアイデアが募られる。年間で50以上のアイデアが寄せられ,実行されている。

その後,2007年におもちゃ電車が,2009年春にはたま電車が登場し,利用者も1割ほど向上していった。赤字解消に向け,「日本一心豊かなローカル線」となるよう,地域一丸となって日々,活動している。

「人間の鏡としての猫」http://www.neko-doko.com/trailer.html

※1:日本には90以上のローカル線があるが,その7割近くが経営難にある。