同志社大学商学部 高橋広行 研究室

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分析手法について指導・議論することの意味?(単なるつぶやき)

仮説検証型の修士論文のアドバイスを依頼されたので,打ち合わせした。調査を通じて回収したデータをAmosを使って仮説検証したいという。

構造方程式モデルを使って検証したい気持ちはわかる。しかし,当然ながら,仮説となるモデルがありきであること,また,潜在因子をひとつの観測変数で測定することは難しい(これは,安定性の問題に加えて,ひとつの潜在因子をひとつの観測変数で捉えることの限界だろう)。

あくまでも,アンケートから導きだせる(潜在因子を想定した)モデルとは,回答している「消費者の心理」を抜けモレなく測定できている必要があり,フィットネスの高さとはそのアンケートに回答した人の心理的な構造を正確に再現出来ているモデルを作ることでしかない。

変数が不十分である場合,ある観測変数の分布が他と大きく異なってイビツな場合,また,変数の測定方法や質問の仕方によってフィットネスが上下するのは当然だろう。

仮に,ひとつの概念を測定する変数が不足している場合,無理やり潜在因子を想定した共分散構造モデルを行う必要は無く(というかそもそも潜在因子を1つで測定できるほど心理は単純ではない?),仮に,パス解析でも複数の因果関係を見ることが出来るという点で,重回帰分析よりも利点は大きい。

こういった基本的なことは孤独に分析している時はあまり言葉に出して考えないのだが,他の人に説明する機会があると,案外,気づくことも多い。

やはり,人と打ち合わせする,議論することは自己の考え方を表層化するためにも結構,役立つ。